2015年07月25日

熊野大学夏期特別セミナー「戦後70年 中上健次 平和と戦争」で講演をします。

《※告知が遅くなって申し訳ありません。パソコンの不具合に見舞われたため、ブログを更新できずにいました。》


初日、8月7日(金)の夜、一番深い時間にやらせていただきます。

演題は、「核汚染放置戦争準備エンタメ洗脳国家・日本の現状と、己自身を熊野の地から見つめなおす」です。

参加申し込みの方法など、詳細は、熊野大学公式サイト「イベント案内」をご覧ください。
http://kumanodaigaku.com/event.html

熊野大学 twitter
https://twitter.com/kumanodaigaku

作家 中上紀氏 twitter
https://twitter.com/norinakagami


【中上健次:「熊野大学」特別セミナー 和歌山・新宮で来月】
毎日新聞 2015年07月16日 東京夕刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150716dde014040009000c.html
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


私が熊野大学の合宿セミナーに受講生として初めて参加したのは、大阪芸大を卒業した翌年の1994年、当時同大学部の上に設けられていた、大学院とはまた別の、専攻科というコースに在籍しながらも授業にはまったく出ていなかった二十三歳の夏でした。

もし、私が、その年の熊野大学のセミナーを受講していなかったなら、まず、その翌年からわずか1年たらずとはいえ、贋学生として東京の幾つかの大学(最もお世話になったジャーナリスト専門学校を含む)でモグリの聴講生をすることもなかったでしょうし、中上の読者にはおなじみの、新宮のお灯まつりに二度も上らせてもらうこともなかったでしょう。
そもそも、出身大学の外で、その当時に【中上健次】を読んでいた歳の近い文学仲間らと出会えたこと自体が、今にして思えば、とても幸運だったのです。

そして、後に『介護入門』と名づけることになった小説(※書き出す前には、「小説かどうかもわからなかった、小説のようなもの」)を、2002年に、自宅で気ままな音楽創作の活動(いわゆる「宅録」)以外何もしていなかった、小説を書くことなど何年も前に放棄してしまっていた私が、「とにかく経験したことを忘れ去ってしまうのが厭だから、書けるかどうかはわからないし、再び《小説を書く》という行為に向き合うのはなんとも忌わしいけれども、書くしかない」と思い至ったのは、その頃、数年ぶりに膝をつき合わせて語り明かした、元々が熊野大学で最初に友達になり、東京での贋学生生活へと私を誘ってくれたツレの家で、でした

で、〔このブログではあまり私的なことは書かないつもりでいたのですけれど、ちょっと今回は、何かのめぐり合わせとしか思えないので、書かざるをえません。〕先週の15日の、【自称公共放送】のfuckin' NHKが秘密保護法案の時と同じくまたしてもテレビで国会中継をしなかった、あの強行採決の日の夕方に、続々と人が集まりだした国会前で、なんと、私は、そのツレ(※自称【紀州の鬼】)と、バッタリ遭遇したのでした。

熊野大学での講演を半月後に控えた私と、熊野大学への参加では私よりも先輩になる【紀州の鬼】とが、互いに何の連絡もなしに、このタイミングで再会してしまうこと自体が、既に何事かであると、熊野大の出身者であるわれわれは、そこは何の疑いもなく、偶然か必然かもわからぬ不思議な流れに呑まれるようにして、自然と「そう感じる」以外になかったのですが、あの日の国会前・抗議活動の場での再会を、来たる【熊野】での、本格的な【交通の反復】の序章のように思えば、今年の熊野大学は、相当「ええ感じ」になりそうですね。

「熊野の地から見つめなおす」と書いたことの真意は、
熊野に来てもらったら、どんな人にも、わかってもらえる気がしています。
(【中上健次の熊野大学】を入り口として熊野に行っていなければ、私は、もしかしたら、今私が認識しているようには、熊野という地のことを感じられないままに、人生を送っていたかもしれません。)

当日は、そういう話からはじめます。


※《革命謀議の自由》は、腐りきった【核汚染放置戦争準備エンタメ洗脳国家】に抑圧されているすべての国民に保障されている、あたりまえの権利です。

posted by DJ楢山節考 at 08:16| 日記 | 更新情報をチェックする